争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない!! 70年前に少年VSカンガルー


争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない!! 70年前に少年VSカンガルー

少年サンデーの漫画「神のみぞ知るセカイ」から広がったセリフが再び注目を集めている。

今から約70年前の昭和25年(1950年)、広島では少年vsカンガルーのタイトルマッチが行われた。

NHKアーカイブスがツイッターで4月11日に公開した。

少年とカンガルーを戦わせるという発想は、平成の今であれば「動物虐待」「少年虐待」と批判が殺到しただろう。

一方、カンガルーがボクシングをする姿はネットで広がっている「争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない!!」とのセリフ付きの画像やAAを思い出させる。

なお「争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない!!」の内容が正しいかどうかは、言葉の定義が曖昧でいつまでも決着がつかない「賽の河原(積み上げては壊れる)」の典型である。





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全てが謎に包まれている

1 Comment

  1. 典型的な朝鮮話法ですね。 争いと言っている時点で 全く異なる価値観を持つことを意味します。
    例を挙げ もとになる価値観、次元である彼我を例にとってみましょう。
    食べ物を一人が食べなければ 二人とも死ぬなどの 簡単な条件でならわかりやすいでしょう。
    全く 次元も思考も所属も土俵も違っても、争わなければならない一点において一致します。
    逆に、どこがどう一致していても、同じ種族でも、同じ性別でも、同じ利益ですら 争わなければならない一点において争います。
    さらに、その争いに 憎悪が含まれず、利益が含まれない場合、競技と変えます。
    協議にはルールがあり、各種ルールに基づいて カンガルーボクシングをするには カンガルー同士でなければならない となるわけです。
    実態から 一部の条件のみで成立する語呂を そのままごり押しする詐欺話法で、唯一人語を扱わず人糞を食う種であったKoreanが 人語をまねて施行する際 陥る 人類からすれば意味不明で支離滅裂な文章です。
    「争いは」の条件が抜け落ちている。 この場合の争いは 「カンガルーボクシングは」双方がカンガルーであることが条件になる。 の朝鮮話法ということです。

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