SNSのコメント欄で活躍しないで実践者になろう! 「説教おじさん」ではなく「カリスマ論客」へ
SNSの普及は新たな社会問題を引き起こしている。
ツイッターなどSNSで活躍するある人は「カリスマ論客」と尊敬され、ある人は「説教おじさん」と蔑まれる。
その境目はどこにあるのか。
SNSでのコメントの姿勢が現代人に問われている。
ゲームばっかりしないで勉強しなさい
21世紀を生きる人々にとってSNSでのコメントの楽しさは言うまでもない。
古くは2ちゃんから始まり、ミクシィ、ヤフーコメント、ツイッターとコメントの盛り上がりは時代を変えて受け継がれている。
もっとも、SNSでのコメントに集中し過ぎると弊害もある。
スマホ時代ではどんな場所でもSNSへのコメントができるため仕事に集中しなくなる、本業よりもSNSのコメントに時間を使ってしまうなど。
ファミコンなど据え置き型のゲームが流行していた時代に「ゲームばっかりしないで勉強しなさい」という言葉があった。
これを現代風に置き換えるならば「SNSにコメントばっかりしないで実践しなさい」となるだろう。
守りのコメントから攻めのコメントで実践者へ
SNSにコメントを続けるのは悪いことなのだろうか。
ここで、SNSへのコメントを「攻め」と「守り」に分類してみよう。
あまりに特定のSNSに依存し過ぎるあまり、タイトルだけ読んで記事の中身を読まずにするコメントは「守り」のコメントだ。
ガッキーが出てくるたびに反応、今が最も楽しいと言われるアイドルグループSKE48の動向をつぶやいてしまうのも場合によっては「守り」のコメントとなる。
守りのコメントはただの時間つぶしであり、パズドラを惰性で5年以上も続けてランクが400超までいくようなものだ。
一方、自分を成長させるような「攻め」のコメントもある。
記事の内容をしっかり読み、自分の経験と照らし合わせつつも、コメントをするために新しい情報を獲得しにいく。
SNSで良いコメントをするために自己研鑽をするのも、結果的に成長につながる。
仕事に打ち込み、熱中し、未来を見つめて「前のめり」になるからこそ攻めのコメントが可能になる(前のめりに生きよう)。
何よりも「SNSのコメントで活躍せずに実践者になろう」というコメントこそが、SNSでの攻めのコメントそのものだ。
SNSのカリスマ論客と呼ばれる著名人はみな、実践をして経験を積みながら攻めのコメントをしているからこそ、高い評価を得ている。
実践を続けたその成果をSNSで打ち明けている者こそが「説教おじさん」ではなく「カリスマ論客」となるのだ。
なお、当サイト「キュレーションドットコム」で頻繁に登場するモデルの河村友歌さんはフリー素材サイト「ぱくたそ」で活躍して知名度を高め、新しい時代のモデルとなった実践者である。