AKB48卒業生の仲川遥香、親が不在の子に伝える生き方 インドネシアで最も有名な日本人





はるごんこと仲川遥香、27歳の誕生日で家族の不在について告白

「私は3歳の頃から両親と暮らした事がありません」

元AKB48・JKT48の仲川遥香は2月10日の27歳の誕生日にそう告白した。

かつて日本では「はるごん」の愛称で知られた仲川遥香。

AKBで華やかな位置には立てなかったものの、インドネシアはジャカルタの新グループに飛び込み活躍。

今ではインドネシアで最も有名な日本人と言われるまで成長した。

その過程には誰にも伝えてこなかった葛藤があった。

AKB48からインドネシアのジャカルタのグループへ移籍

仲川は2006年からAKB48に3期生として所属、同期は渡辺麻友や柏木由紀だ。

AKBの選抜総選挙では第二回で20位に入るも第三回は24位、第四回は44位と順位を落としていく。

2012年8月、AKB48初の東京ドームコンサートにおいてインドネシアで新設するグループJKT48への移籍が発表される。

それはあの指原莉乃がスキャンダルを起こし、AKBからHKTに移籍した直後の時期だった。

当時、全盛期の人気を誇ったAKB48から他グループへの移籍はファンから「左遷」「都落ち」と呼ばれていた。

インドネシアで日本のアイドル文化が通用するわけがないとの声も多かった。

日本で成功せず海外に逃げるだけじゃないのか。

そもそも言葉も通じない海外で生活できるのか。

ネット掲示板2ちゃんねるなどで批判と不安の声があがっていた。

インドネシアで家族についての質問 ごまかしてきた日々

周囲の不安をよそに仲川はインドネシアで大きく成長、現地のテレビやCMなどに引っ張りだこのタレントになった。

2016年末にはJKT48を卒業、その後も現地でタレントとして活動する仲川は2019年に入りインドネシアの生活が6年となる。

家族を大事にする風潮が強いインドネシアで、常に「家族はインドネシアにこないのか」「あまり会わないのか」と言われ続けてきた。

そんな質問に対して「ジャカルタ生活は楽しい!」とごまかしてきた。

言い訳するのも厳しくなり自分の心も辛くなってきたため、仲川は家族の不在の理由について公表に踏み切った。

仲川は小さい時に親が離婚、父に引き取られたために母の顔は全くわからない。

おばあちゃんと暮らし、児童養護施設に入っていた時もあった。

おばあちゃんの大事さを語るも小学校・中学校では「正直辛かった寂しかった」と明かす。

今までこれらの事を話す勇気がなかったことについて「恥ずかしい」という気持ちがあったという。

AKB48グループのアイドルは劇場公演の生誕祭などで父や母の手厚いサポートについて、感謝する言葉を述べる事も多い。

そんな時も仲川は自分の環境を隠し、ずっと笑顔で活動していたのだ。

「きっといつか素晴らしい愛に包まれる時がくるよ」

JKT48のメンバーやスタッフについて、仲川は「家族みたいで。正直嬉しかったです!」と話す。

それと同時に「今まで寂しかったんだ」という感情もわかったという。

だからこそ、同じ境遇にいる子たちにこう呼びかける。

「きっといつか素晴らしい愛に包まれる時がくるよ」。

インドネシアで成長した仲川の言葉を見て、かつてのファンは目を細めずにはいられない。

そう。

AKB48に「初日」という曲がある。

仲川が所属していたAKB48チームBの曲だ。

その歌詞の一節にある「一人だけ踊れずに、帰り道 泣いた日もある」。

それは歌と踊りが下手だった仲川のエピソードだ。

自身の境遇を語れず、必死にもがいていた仲川遥香の生き様だ。

その「初日」はファンによる楽曲のランキングのコンサートで2009年に1位を獲得、今も歌われている。





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