争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない!! 70年前に少年VSカンガルー
少年サンデーの漫画「神のみぞ知るセカイ」から広がったセリフが再び注目を集めている。
今から約70年前の昭和25年(1950年)、広島では少年vsカンガルーのタイトルマッチが行われた。
NHKアーカイブスがツイッターで4月11日に公開した。
少年とカンガルーを戦わせるという発想は、平成の今であれば「動物虐待」「少年虐待」と批判が殺到しただろう。
一方、カンガルーがボクシングをする姿はネットで広がっている「争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない!!」とのセリフ付きの画像やAAを思い出させる。
なお「争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない!!」の内容が正しいかどうかは、言葉の定義が曖昧でいつまでも決着がつかない「賽の河原(積み上げては壊れる)」の典型である。
【きょうの蔵出しNHK】4/11は「ガッツポーズの日」。ガッツ石松がこの日見せた勝利の姿を、新聞がガッツポーズと呼んだことで広まった。映像は昭和25年、広島で行われた少年VSカンガルー、奇跡のタイトルマッチ!? #今日は何の日 pic.twitter.com/fw0xBby743
— NHKアーカイブス (@nhk_archives) 2018年4月10日
典型的な朝鮮話法ですね。 争いと言っている時点で 全く異なる価値観を持つことを意味します。
例を挙げ もとになる価値観、次元である彼我を例にとってみましょう。
食べ物を一人が食べなければ 二人とも死ぬなどの 簡単な条件でならわかりやすいでしょう。
全く 次元も思考も所属も土俵も違っても、争わなければならない一点において一致します。
逆に、どこがどう一致していても、同じ種族でも、同じ性別でも、同じ利益ですら 争わなければならない一点において争います。
さらに、その争いに 憎悪が含まれず、利益が含まれない場合、競技と変えます。
協議にはルールがあり、各種ルールに基づいて カンガルーボクシングをするには カンガルー同士でなければならない となるわけです。
実態から 一部の条件のみで成立する語呂を そのままごり押しする詐欺話法で、唯一人語を扱わず人糞を食う種であったKoreanが 人語をまねて施行する際 陥る 人類からすれば意味不明で支離滅裂な文章です。
「争いは」の条件が抜け落ちている。 この場合の争いは 「カンガルーボクシングは」双方がカンガルーであることが条件になる。 の朝鮮話法ということです。